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2000年 9月24日

モザンビーク日記:開発コンサルタントの原点とは?  小野澤雅人


 何で開発コンサルタントになったのだろう。もちろん地球規模の問題に、これまでに学んだことを職業人として生かしたいというのが最大の理由なのだが、そのほかにもいくつかの理由がある。ごく私的な趣味の部分なのだが、「未知の土地へのあこがれ」ということも大きな理由の一つなのである。

 今回私は、まさにその「未知の土地へのあこがれ」を満足させるような案件に関わっている。2000年8月から始まった、モザンビーク中部テテ州アンゴニア地域の総合開発計画策定業務である。私も社会開発担当として、同国テテ市を基地として近隣の村落を対象にした社会経済調査を実施することになっている。

 モザンビークは、ポルトガルからの独立後、黒人主導の社会主義国家成立を好まない隣国、ローデシア(現ジンバブエ)と、南アフリカの白人主導政権からの度重なる干渉で、激しい内戦が長期にわたり戦われたことで知られている。私の滞在するテテ市は、隣国マラウィ、ザンビア、ジンバブエという陸封された3カ国各々の首都を結ぶ、物流上の結節点であり広域的にも重要な都市である。旧宗主国ポルトガルは、過去に大規模な水資源開発を実施し、石炭開発とそれを運び出すための鉄道敷設をおこなうなど経済戦略上極めて重要な拠点である。また、アフリカ有数の大河であるザンベジ川にかかる橋梁は、地域の軍事的な要衝の一つで、内戦当時この橋を巡って反政府軍との間で激しい戦闘が行われたという。内戦当時は、多数の難民や戦争被災者がこの地域から出ており、戦争の影響を強く受けた地域である。

 90年代初頭には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がここテテに事務所を置いていた。一昨日、市内のスポーツクラブで出会った人(彼は元難民だったそうな)から、高等弁務官の緒方貞子氏がテテにやって来たときの話や、彼がマラウィの難民キャンプで直接出会った何人かの日本人職員の思い出話を思いがけず聞くことができ、たいへん感慨深かった。

 日本も平和維持活動に自衛隊を参加させるなど、この国の和平に一定の役割を果たしている。援助機関の活動は、当初の目的である難民や国内避難民の帰還が進むことで、その役割を終え縮小されている。国際NGOを含む援助機関の活動は、地雷処理技術の移転や村落開発などの分野に絞られつつあり、援助全体の方向性は、難民対策を終了し、経済開発に力点が移っている。私の参加する「アンゴニア地域総合開発計画調査」は、その一環として、国際協力事業団により実施されることとなったのである。

 冒頭に書いたように、「未知の土地へのあこがれ」という意味においてもまた、地域開発を志す者の一人として、始まったばかりのこの仕事は、私がこれまでに関わったプロジェクトの中でも、かなり印象深いものになるのではないかという予感がしている。

 この地域は、80年代の終わり頃私が「ハマっていた」貧乏旅行をした経験から見ても、不便さにおいてはかなり「いい線」をいく地域だと思う。まさに「フロンティア」である。もちろん今回はビジネスで来ているわけで、バックパッカーの時のように乗り合いバスやトラックでは調査活動はできないし、今の方が条件は格段に良いのだが。

 テテ州では、電話と電気がテテ市を除くとほとんど通っておらず、明らかにこれらの整備が急がれる地域である。今回は電話の無い生活がどんなに不便かということを思い知らされた。10数年前と異なり、私も家族持ちになったからである。

 道路事情も極めて悪い。地方には、州の中心都市(と呼ぶにはあまりにも小さいが・・・)テテ市から直接行ける道路がないために、一旦隣国のマラウィに出国し、再度モザンビークに入って(パスポートを提示する!)ようやくたどり着ける地域もある。マラウィの牛が、日がな一日モザンビーク側で放牧され、夕方にはまた、国境のゲートを越えて(顔パスで)マラウィに帰っていくなどという地域の農民の生活を間近に見た。これは、主権国家についてのこれまでの私の理解を超えている。さすがにアフリカ大陸は、常人が理解するのには、なかなか深みがあるなあと思った。

 コンサルタントにとって、ホテルの選択はいつも頭を悩ますことの一つだが、テテ市にはビジネス客が満足できるようなホテルが一軒もないというのは、頭痛の種である。各国の首都は例外としても、地方都市で望外にすばらしい宿泊施設に巡り会うことも時にはあるのだが、今回はどうも望むべくもないようだ。個室のバスルームがあってお湯が出ることをもってよしとするというのは、前回の出張先ハノイで5つ星ホテルに40ドル台で泊まっていたなどという、かなり甘やかされた生活をしてきた私にとっては、ここの現実を理解するのに多少の時間が必要であった。

 いつもならこの時間は、ホテルでCNNを見ているのが普通のコンサルタントの出張生活なのだが、何せここにはCNNを見られるようなホテルなど望むべくもなく、手紙を書いたり、読書をしたり、そしてこのような雑文を書いているわけである。空いた時間をどのように消化するかに頭を悩ますということは、贅沢だという考え方もある。だからこそ、普段考えもしないことに考えを巡らせることもできるのである。わたしの場合はテテに来て「もう一度地域開発の原点にもどる必要を感じた」のである。

 電話、電気、道路などの社会基盤が充実し、5つ星のホテルがある地域と、社会基盤が未整備な地域とでは、我々開発プランナーに対する要請の緊急度はどちらが高いのだろうか?社会基盤が未整備で、一流ホテルが成り立たないような投資環境であるが故に、我々が仕事をしなければならないのではないか?水漏れするトイレの音を聞きながら、そんなことを考えているとモザンビークの夜はふけていく。それにしても、いったいいつになったらトイレを修理してくれるのだろうか?


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