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イントロダクション:和歌山の友人
8月上旬、和歌山で建築設計事務所を経営している友人から久々に電話がかかってきた。親しい友人の1人である。10年くらい前、六本木のある怪しい英会話喫茶で知り合って以来連絡がほぼ途絶えたことはないくらいの仲である。彼が93年に英国へ留学し、その後私も96年に同じ英国へ留学した頃、双方の連絡が一時期途絶えたことがあったことがあったが、なんとこのときロンドンで再会してしまったほどの腐れ縁(!?)である。お互いの共通点が建築屋、酒好きというたった2つの大きな理由だけでよくここまで仲が続くものだといまさら感心させられる。
話を戻す。8月上旬、この親しい友人が9月中旬の約10日間、一緒にブラジルへ行かないかと誘ってきた。この瞬間何が言いたいのか分かった。今回説明する「建築都市ワークショップ」のことである。以前本屋である建築系の専門誌を立ち読みしていたとき、この企画が広告されたのを目にしたことがあったからだ。ブラジルへ行って何か建築・都市計画に関する研究活動をし、現地の関係者の前で研究結果を発表するスタディー・ツアーのことだが、主催関係者の1人がこの友人だったことを前述の専門誌を通じて知っていたのである。まさか向こうから誘いの電話が来るとは思わなかったが、どうも参加者が少なくて困っているようだった。友人は何とか私を参加させようと、色々な誘い文句を並べてきたが、私自身特に断る理由もなく、また興味もないわけでもないし、仕事も忙しくなかったので行くことに決めた。
今回のワークショップとは?
今回参加したワークショップの主な目的は、建築・都市計画を通じて日伯間の親睦を深めることである。また、ブラジルは日本から遠くても近い国と言われ、ブラジルの情報は全般的によくそろっていると考えられているが、建築・都市計画に関しては意外にも情報量が乏しい。だから、この分野の情報をもっと仕入れようとすることも目的のひとつなのだ。これが評価されたのか、活動費は一部国際交流基金より助成を受けている。今回のワークショップは以下の手順で実行された。
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現地の訪問都市(サン・パウロとその周辺都市エンブ、海岸リゾート都市マセイオ)から、バナキュラー(Vernacular:土着性、地域性)を発見、抽出する。
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ここで大切なことは、決してガイドブックなどの資料による表層的な情報に頼ってはならない。あくまでも個人が現地を訪れたときに感じる地域の特性(生活、社会、地勢、建築)を観察する。必要があれば独自に詳細調査・体験をする。
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得られた情報を基にしたデザイン(建物、モニュメント等)を図面、工作物等で表現する。デザイン・プロポーザルの設計予定地は、人工的に作られた都市・ブラジリア内のある敷地とする。ブラジル国内の都市から得られたバナキュラーによって表現されたデザインが、人工都市・ブラジリアでどのような役割を果すかを日本人が考え、この考えをブラジリア大学の教授の前でプレゼンテーションをする。 |
今回訪問した都市は、サンパウロ、エンブ、マセイオ、マーシャル・デオドーロ。バナキュラー抽出のために訪れた。そして、デザイン・プロポーザルの設計予定地を検討するためにブラジリアを訪問、調査した。







作業感想:気分爽快なワークショップ!?
現地7泊している間にバナキュラーの抽出、敷地の選択、デザイン・プロポーザルの作成、そして現地関係者にプレゼンテーションをするというワークショップ。プロジェクトの初期過程からスタートしたわけだから、よほど効率よく、そして集中して作業を進める必要があった。まして、国内線のフライトを3回(早朝5時台のフライトもあった)、日中はバスに乗って視察したり、歩き回って調査したり、夕方は専門家からの講義・レセプションを受け、個人に与えられた図面・工作作業の時間は1日程度というスケジュールだったから、これはもう大変・・・!?
でも、実際この作業を経験してみると決してそんなことはない。不思議なことに、逆に楽しかった。さすがにプレゼンテーション前日はルームメイト(今回のツアーでは2人1部屋)と一緒に夜中ほとんど寝ずに準備していたけれども、終わってみれば気分爽快。苦痛なんて少しも感じなかった。
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今回参加したメンバーは14人。年齢、職業とも様々で、上は50代の団体職員から下は20代の現役大学生である。参加者は皆素晴らしい人達ばかりで、スケジュールが密に詰まっていても全員だれも不平をこぼさなかった。団体行動だから当然時間どおりに事が進まず、業務のための調査であればだれかカリカリするようなことがあったけれども、今回のトリップではだれもカリカリしなかった。もししたら、その人は皆に睨み付けられるだけであろう。
今回のワークショップから得られた収穫
地元建築家との交流会の時、我々のやろうとしている"バナキュラーから発想する建築・都市デザイン"に対して否定的な意見を述べる大学教授がいた。"ブラジルは日本と違って若い国だ。日本は古い国だから、伝統、文化、風土等を大切にするかもしれないが、ブラジルは若い国だから大切にすることはない。だから、ブラジルにはバナキュラー・デザインなんて必要がない。"ということを大学教授が言ったのである。彼は後に、"建築ではモダニズムが追求されるべきだ"とも付け加えた。いわゆる、例えば東京駅周辺にあるようなガチガチで無機的な鉄筋コンクリート造のオフィス・ビル群のような建物でいいじゃないかということだ。建物の設計コンセプトづくりにバナキュラーは不要ということである。
私のプレゼンテーションを聞いてくれたブラジリア大学の教授も同じようなことを言った。私は、この国の民家でよく見かける茶褐色の瓦屋根に着目し、これをバナキュラーと設定した。ブラジリアの官庁街にある無機質な建物の屋根にこの瓦屋根を採用したらどうかという提案をしたのだが、彼は聞き入れなかった。瓦屋根はモダニズムに反するからケシカランとでいうわけだ。彼もモダニズム愛好家のようである。
日本の建築もかつて、私の勝手な解釈であるが20年前くらいまでは確実に"モダニズム"が追求されていた。いわゆる東京駅周辺にあるオフィス街の建物のような建物である。しかし今、日本の建築家達のほとんどは、モダニズム追求型の建築に疑問を抱いている。構造計算で緻密に計算された部材で組まれた現代建築ではなく、人間の自然の感覚がたくさん取り入れられた昔の建築を見直している。木の建築を激賞する建築家もいる。このようにモダニズムを疑問視する傾向が強まり、日本にはモダニズムに次ぐ"ポスト・モダニズム"思想が誕生済みである。バナキュラー建築もこの思想の中に分類されると思う。
ブラジル国民は、愛国心が強いと言われている。だが今回のワークショップを通じ、自分達の国が若いからと言ってバナキュラーを少しも顧みず、ひたすらモダニズムの追求を主張する建築家が一人でもいることに、彼らに本当に愛国心があるのかと疑問に思った。バナキュラーと愛国心は、どこか共通しているところがあると私は思う。ブラジル国民の愛国心とは、いったい何なのだろうか。
学生に励まされて
前述のとおり、今回のワークショップには幅広い年齢層の参加者が参加した。彼らと一緒に行動するのはとても幸せだったけれども、特に今回参加した学生と一緒に行動できたのは自分にとてもよい刺激となり大きな意味があった。彼らの作品を見ていると、色々な情報が詰まっていて秩序が感じられないような気がするが若さ溢れるパワーを感じた。不屈の体(耐)力から生みだされたデザイン、既成概念にこだわらない自由な発想が伝わってきた。失敗を恐れず、攻撃的な姿勢で作業する姿にも独特のパワーを感じた。
私自身も国際開発調査の業界ではまだ若いはずである。彼らを見習い、もっともっと"当たって砕ける精神"をもって行動すべきだと思った。"守り"ではなく"攻撃"の精神が必要なのだ。とにかく、彼らは私にとてもよい刺激を与えてくれた。
友人の変貌ぶりをみて思い知らされたこと
私たちは今回の活動の件で、在ブラジル日本大使館に呼ばれ、驚いたことに特命全権大使から歓迎のレセプションも受けたのである。私はちゃっかり名刺交換をした。以前JICAの調査団員としてトルコとフィリピンへ行ったことがあるが、特命全権大使からレセプションどころか大使に会えたことすらないのに……!?。今回のワークショップでこんな体験が出来たのは、ワークショップの企画者達4人の活動、功績が大使に評価されたからである。友人はこの企画者の1人である。私をこのワークショップに誘ってくれた彼のおかげで大使と歓談ができたのである。友人は私より2年年上だが、だいぶキャリアに差をつけられてしまったようだ。彼は若い頃、私とは比較にならないほど苦労している。大学卒業後、ある建築家のもとで丁稚奉公のような扱いで仕事を経験し、その後ロンドンへ留学、3年学生生活を送り、さらに2年間そこに住み続け小金を稼ぎ、帰国したのがつい2年ほど前。帰国後家業を手伝いながら自分の事務所を開設したのが昨年、34才のときである。将来どうなるか分からないような生活を続けていたわけだが、自分の信念を頑固に貫きとおしてきた。"サラリーマンにならず、自分の目指す建築をやる"という信念を貫いてきた。そして、友人は本当に自分の目標を実現させてしまったのである。事務所も順調なようで、専門学校の非常勤講師も務めているらしい。
彼との再会はいい刺激になった。まだまだ私もやれると思う。伸びると思う。そのためには冒険しよう、先程の学生達のように攻撃的になろう、そして苦労しよう、自分をいじめようと思わされたのである。
参加してよかった!
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